そらにねがいを
いつも見守って下さっている神様に感謝を捧げ
天燈に溢れんばかりの願い事
世界平和 とか…
みんな みんな 天まで届け
(平渓・天燈祭りにて)
いつも見守って下さっている神様に感謝を捧げ
天燈に溢れんばかりの願い事
世界平和 とか…
みんな みんな 天まで届け
(平渓・天燈祭りにて)
旧正月の喧噪から少し逃れ、港町の外れでいただいた
おみそ汁とちまきに静かな幸福を感じた
しんぷるな朝ごはん
素朴な味で一つ一つ手作りでお店の人が親切で
地元の人でなければわからないような場所にひっそりと佇んでいる
飽きずに永く愛される
これは行列ができるお店に共通していたこと
1998年、Every Little Thing「NECESSARY」のミュージックビデオの中で
私は天使に見守られながら生きる女の子を演じさせてもらいました。
10年以上の月日を経た現在、竹石渉監督が私に再び声をかけて下さいましたこと大変嬉しく誇りに思っております。
新しく、ひまりの「櫻」に出演させていただくことになりました。
「櫻」は仙台市南三陸町の防災庁舎で津波が襲来する直前まで町民に避難を呼びかけ
自らは亡くなってしまった女性にインスパイアされて作られた曲だと伺いました。
どんな思いで、呼びかけ続けていたのでしょう。。
「一人でも多くの命が助かってほしい」と、ただひたすらに願われたのだと思います。
そして私はそのような人の想いによって生かされているのだと感じています。
この歌が、一人でも多くの方の心に届きますように。
2013年2月20日リリース
ひまり 3rdシングル『櫻』
海の幸、山の幸、豊かな食材に工夫をこらしたシチリアの郷土料理には「ブオーーーノ!」の連続。
大家族のお宅では、映画「ひまわり」に出てきそうなほどの大量の卵を割り、大鍋でパスタを茹で、厨房は戦場と化す。
マンマ達は大阪のおばちゃんなみにパワフルで、家族愛に包まれ、あったかかった。
ご先祖さまと繋がる「死者の日」は、本当に素晴らしい風習だと思ったし、あの大家族は私の理想でもある。
茄子とトマトのパスタ”アッラノルマ”を始め、いろんな国からやってきた素材の組み合わせ方、料理法が上手なシチリア。(それをいうなら日本も負けず劣らずだけど。)
ここでは、「トリュフ?そんなの食べたことない。」と言う方もいらっしゃるくらいだから
イタリアといえども、北と南でこんなにも違うものかと学んだし、
イタリアの中にも様々な郷土料理があるのだから”イタリア料理”と一括りに呼んでしまうのは難しいなとも思った。
どことなくアフリカの薫りもしたり、イタリアという枠に留まらない魅力的な場所がシチリアなのだ。
オリーブ農園を案内して下さった貴族のご家庭で、オリーブオイルを試食(飲?)し、
この美味しさをどう伝えようかと、頭の中でぐるんぐるん表現を探していたら、そばにいた男爵はワインを片手にくるくるまわし、
「トマトのような酸味、アーティチョークのような苦み、ハーブのような香りだね」とさらっとおっしゃるじゃあありませんか。
その表現!
感心とくやしさが入りまじる私に「あれはシチリアの方だからこそ出てくる言い回しですよ。」
と、私を宥めてくださったカメラマン氏。
ともあれ、食の好みは人それぞれですから、これという正解はないのかもしれないけれど。
ワインのように美味なるオリーブオイルだったことは忘れない。
取材先でオリーブオイルをこぼしてしまった時、床に広がったオイルへ向かってマンマがパーッと塩を撒いたのには驚いた。
オリーブオイルをこぼすと縁起が悪いらしいのですが、日本と同じで、不吉なものなどは塩で祓うのだなぁ、と
オイルをこぼしてしまった申し訳なさよりその塩撒きに興味を持ってしまった私たち。
どこの国でも昔の人は知っていたのかも、塩に宿るふしぎな威力を。
アルキメデスが生まれて死んだ街シラクーサで目にしたのは、繊細で優雅なバロック調の建物。
淡いピンクの壁に薄紫のオープンカフェのテーブルクロスというコーディネートも、わたしの気に入ってしまい、
青空とやわらかいベージュの建物のコントラストが美しく、迷路のような路地裏もなにもかも絵になると惚れ惚れ。
太陽が沈む頃、桃色に染まるシラクーサの街は一層魅力的。
さて、この街で、アルキメデスがお風呂に入るシーンを再現撮影するため、地元のシチリア人撮影隊にもお手伝いをしてもらうことに。
浴槽に水を足すときに地元スタッフが一人の男性に向かって「チッチョ、アクア!」と要求しているので、私たち日本人もそれを真似て「チッチョ、アクア!」と叫んでお水をお願いしながら、作業はスムーズに進み無事終了。
彼らと別れてからコーディネーターさんが、
「チッチョっていうのは、おデブさんという意味なんですよ」と、ニコニコ顔でさらっと言うじゃない。
「どうしてその場で教えてくれなかったんですか!?じゃ、みんな彼に向かって『おい、デブ!水!』って頼んでいたことになるじゃないですか。」
すると、
「だいじょうぶ。チッチャだとブーちゃんという意味で、こちらでは幼い女の子にも「かわいいブーちゃん」みたいに言いますから。(ニコニコ)」
・・・
「本当にだいじょうぶですか!?ここシチリアっすよ。明日の朝、目が覚めたらベッドに馬の顔が~、なんてことにならないすか!?」(ゴッドファーザーか!)
どうりで。私たちが彼の名(と思っていたあだ名)を呼ぶたびに、みんながくすくす笑っていたわけだ。
その笑顔がまたこわいんだよな(と、考えすぎ。)要するに、チッチャやチッチョは愛情ある呼び方ということでしょうか。
窓枠もドアも屋根もモスグリーンに統一したおとぎの国のようにかわいらしい、老舗のチョコレート屋さんが数多く建ち並ぶモディカ。
この街でのお夕飯時。一か八かで選んだ街外れのレストラン。
決して気取ったお料理ではなく、一見素朴な家庭料理。けれどそのお味はとても美味で、期待以上だった。
明日葉のような、芥子菜のような炒め物はイタリア語でよくわからなかったけれど、なんだったのだろう。とにかく美味しかった。
前菜でみんなお腹がいっぱいになった。
旨さの秘密はなんだろう??と尋ねると、シェフはテーブルに片手をドンっと突き、もう片方の人差し指と親指でOKサインをつくり、
ずばり、「情熱さ!」と一言。
食をこよなく愛するディレクターは”街の巨匠”のパッションに「生きててよかった」と感涙すらしていた。(そんなに!?)
料理が大好きなのだというおとうさんの「情熱」以外の何ものでもないのは確かだと、お世辞抜きで星3つ!と私も唸っていた。
このレストランはきっと地元の人からとても愛されている。
「昨年は私の夢を少しずつ叶えさせてもらいました」と年始に述べたけれど、その夢のひとつがシチリア島の訪問だった。
シチリアを舞台にした映画がどれも魅力的だったからなのか、私自身が海の傍で生まれたからなのか、イタリア語の響きが好きだからか、
塩野七生さんの本を愛読していたからなのか、憧れた要因は様々だけれど、
図らずも私が大好きな映画「ニューシネマパラダイス」の主人公トトくんに会わせてもらえるという知らせを聞いた今回は、描いていた夢が何倍にも膨らんでの訪問だった。
映画の舞台となったパラッツォ・アドリアーノ村は想像以上に山奥だったけれど、その分貴重で濃密な訪問時間となった気がする。
ジュゼッペ・トルナトーレ監督がこの村を愛したそうで、実際に村人に突撃インタビューをすると、
ほとんどの人がこの映画に出演していたことにも驚いた。
「僕だけ起用されないと思っていたら、監督がこのシーンに起用してくれたんだよ。」と、胸キュンなエピソードが聞けたり、
アルフレードが映写機を窓の外に向けて上映した広場や噴水も、今は家族でレストランを営んでいるトトくんの愛くるしい笑顔もそのままで、何よりこの村の住人が皆とても愛らしかった。
どうか地球の裏側にいても
トト君の愛する村で、愛するシチリアで、笑顔の日々であってほしいと願っています。
この島の人々は、駄目さも、マイペースさも、すべてひっくるめて人間らしくチャーミング。(そんなに駄目人間!?なわけじゃないけれど。)
自分をよく見せようとか、何々せなばならないとか、かたく覆っている殻を破って、もっと大らかになろっか。という気にさせられてしまうのはなぜだろう。
出会った人は皆いい人だった。本当にこんなにいい人ばかりだろうか。できすぎではないだろうかと懸念していると(わ、マイナス思考…)
ガミガミと融通の利かない意地悪な婦警さんに出会い、やっぱりこういう人もいるんだわと妙に安心したり。
チップを巧妙に多めにとろうとしたボーイに出会った時、ああ、ここはイタリアなんだわ。と再認識したり(って、何処の国にもそういう人はいる)。
何れにしても道中遭遇したよろしくない出来事さえも、
「ヴォンジョーーールノ!!」
その晴れ晴れとした響きが一掃してしまったのである。
私には眩しいくらいのその明るさと、郷土愛がすばらしいシチリア。そして美味しいものをたくさん生み出してくれたシチリア。
途中で日本食に浮気しそうになったけれど、BuonAppetito(ボナペティ!)と供された島の味の数々が、今はただただ恋しく懐かしい。
2013年1月26日(土)の「世界ふしぎ発見!」は、
地中海に浮かぶイタリア・シチリア島。
今やヨーロッパ有数のリゾート地になったシチリア島ですが、
実はかつて世界の中心としてあらゆる食材が集まる場所でした。
食の世界からシチリア島のおいしい秘密に迫ります!
お楽しみに。
「今日は成人式を迎える人たちも大変だわ」と思案しながら、私自身も着物に草履の装いで雪道を慎重に歩き、日本舞踊のお師匠さんの新年会へ。二十人ほど集った都内某ホテルの和食処。しんしん降り積もる静かな雪景色とは対照的に「わっはっはー!」と笑い声が響く賑やかな個室内。ほろ酔い加減でおしゃべりに花が咲き、ついつい騒いでおりましたら、「本日はあなた方の成人式ではないのですよ。先生の新年会でございますよ。」と一言先輩に注意され 、「はーい!」と返事をすると 「ちっとも悪いと思っていないわね」と、また叱られ(笑) 目上の方のお話に耳を傾け、聞こえてきたのは何ともアナログな会話。「スマートフォンというのはどうも慣れなくてね、指を横にサーッと滑らせると 電話の中身もどこかへ一緒に流れていって仕舞いそうな気がするのよ。」と、ファーストフードとスローフードほどに違う世界観。
お稽古に通っていた初期、私はお師匠さんに勇気を出して尋ねてみました「踊りを録画しても良いですか?」。すると「いけません。そういうことをすると、ここ(稽古場)できちんと覚えないから。」とお叱りをいただき、大いに納得したものです。先生はメモを取りませんし、スケジュールを記入されているところをお見掛けかけしたことがないのですが、それでもきちんと記憶し頭の中に入ってらっしゃる。私などメモをした矢先に安心感から忘れてしまい頭に入っていないのですから、感心してしまいます。体にしみ込ませることが何よりも大事なのですね。便利が進むにつれ人間は退化すると、最近頻繁に実感しております。
「背中!」「腰!」と喝を入れられた、かつての厳しいお稽古を皆それぞれに思い出し「先生、私、先生のおかげで社内でも姿勢が良いと誉められるのよ!」と一人が声を大にして伝えると、次々に「私も!」と賛同の声。たしかに皆さん驚くほど姿勢が美しく、油断すると丸くなりがちな私の背中も凛と刺激を受けました。先日、白隠展にて 「子孫に、金を残しても仕方がない。書物を残しても読みやしない。それよりも、徳を積みなさい。」という禅画のメッセージが深く心に沁み入りましたが 、先生もきっと陰でたくさんの徳を積まれていらっしゃるのでしょう。戦中、戦後のお話も多くは語られませんが、先生のお背中に滲み出る忍耐や強さ、優しさ。学ぶことが多いのです。
それにしても和服は、歩き方や姿勢、所作を楚々としたものに変えてしまうのですから良いものですね。
洋服には洋服の美しさもたくさんありますけれど、日本に着物姿が増えるとより素敵だなと思いました。
雪が降ると日頃見慣れた風景もがらりと変わりますね。
こんなふうに四季を楽しめる日本人であることはとても嬉しく、有り難いこと。
「わー、綺麗。よく見ておきましょう。思い出に残る初雪ね。」
と雪景色を愛で、笑いの絶えない華やかな初雪の一日となりました。