DIARY

キノコの佃煮

なめこの佃煮
ご飯がけ
筍のおみおつけ

福岡ハカセのエッセイ本「ルリボシカミキリの青」
“放蕩息子の帰還”を読み返す。
目には見えないプロデイガル・サン(放蕩息子)たち……

04.11.2020

キノコの佃煮” への2件のフィードバック

  1. 父親に2人の息子がいた。
    ある日、兄弟の弟が父親に元気なうちに財産を分けてくれと言った。
    父親は財産を与えた。
    弟はもらった財産の全てを持って旅に出た。
    訪れた先々で贅沢三昧やりたい放題をし尽くした。(放蕩)
    やがて持っていたお金も底をつき、幾日も食べられない日が続いていた。
    ユダヤ人が、見の前の汚い豚の食べていた餌を食べたい思うようになっていた。
    弟は思った
    「このままでは私は死ぬだろう」
    「親父のところでは雇われ人が幾人もいて、おいしいご飯を食べている」
    「私も帰って親父に謝罪しよう」

    弟は帰宅した。
    弟を見た親父がすぐさま靴を履かせ、体を洗ってやり、盛大な祝宴を挙げた。
    それを見た兄が言った
    「お父様、弟はお父様を見捨てたやつですよ。なぜこうまでもてなすのですか」
    親父が言った
    「弟は死んだんだ。死んでしまったのだ。だけど生き返った。」
    「こうして私のところで生き返ったのだ。」
    「兄よ。子供というのは私の体の大切な一部なのだ。それが欠けたら私は生きてゆけない」
    「見よ。私の息子が生き返ったのだ」
    兄はその通りだと納得した。

    弟は、帰ってきたときに親父にあって真っ先に謝罪をしようとした。
    しかし、親父はそれを言えないほどの速さで自分をもてなしてくれることに
    深く感謝と罪の深さを知った。

    ルカ福音書の中のたとえ話の概要です。
    今の世はこの例えに当てはまる言います。
    父親(神)、兄(律法)、弟(民衆)、悪魔(誘惑、疫病、怠惰、怒りなど負を表すもの)
    を表し、キリストが言い伝えたと言われる話です。
    この話はいろんな舞台や映画などのコアとして、現在も語り継がれています。

  2. なめこの佃煮美味しそう!
    たけのこのおみおつけイイなぁ
    朝が楽しい(o^^o)

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