どこまでもどこまでも一緒についてくる下弦の月が、あまりにも美しく、
それを写真におさめたいと思うのに、手ぶらで何ものにもおさめることができないとき、これをどう言葉で表現できるかなと考えたけど、ありきたりで。
あぁ、わたしが今まで写真におさめてきた瞬間ってそういうことなんだ、言葉にできない瞬間なのかと考えてみたり。
もう一度カメラを取りに戻って撮ろうとしても、感動した瞬間はもう訪れなくて。同じように撮りたいから同じようにお願いしますと頼んだとしても同じようには訪れない。
結局、さいしょに出会った瞬間が、いつも一番なんだなって、ときどき思う。
p.s.
坂上みきさんが紹介していた楽曲、WiterplayのQuando, Quando, Quando とっても素敵.
3.5.2017
“下弦の月” への1件のフィードバック
どんなに遠く離れていても、違う空の下にいても、眺める月は同じ。
最近はすっかりご無沙汰になってしまったけれど、昔、三佳さんが旅に出かけるよって、お知らせしてくださっていたころは、今頃はどこにいらっしゃるのかなぁ、って、いろいろ月を眺めながら想いを巡らしていたっけ。
三佳さんはプロの写真家ではないのだから、予め被写体を決めて、しっかり準備して、じっくりと時間をかけて写真が撮れる環境にはいらっしゃらない。
旅先での少ない時間を利用して、瞬間、瞬間に出会えた光景を撮られている。
その一瞬、その一度きりの出会い。まさしく一期一会ではないかと思います。
言葉も写真もガッチリと着飾る必要はないのではないかと。
惹かれた光景、その一瞬を思いのまま写真を撮られたらいいと思いますし、その時に感じたこと、考えていることを素直に文字にされたらいいのではないかと。
そのほうが、きっと他人には伝わりやすいのでは思います。
三佳さんの写真や文章を見ながら、あれこれと考え、想いを巡らす。
楽しいじゃないですか、三佳さんらしいな、って。