Handwoven

投稿日: カテゴリー: '13 Croatia

女性たちが黙々と 時折おしゃべりに華を咲かせながら
丁寧に靴下を編んだりマットを織ったり、なごやかな雰囲気で満たされている部屋の中。
私はここで古着の端切れで織られたマットを購入。
世界にひとつの手織りの敷物が私の部屋をほんわかと彩ってくれています。
この長さで千円ほど(千円しなかったかな?)
色も生地の組み合わせ方も決して機械では出せない味があって、なんとも素敵でしょう。
帰り際、チェリーのケーキやマラスキーノというお酒でおかあさん達がもてなしてくださいました。自家製チェリー酒をさくらんぼジュースだと勘違いした私はがぶがぶ飲んでしまい、ふらふらになりながらおかあさんたちとハグをして千鳥足で帰途につきました。
戦争中はこの国を離れていて辛いことがたくさんあったけれど、今はこうして織物をして慣れ親しんだ場所にいられるということが一番しあわせ。とおかあさん達が語ってくださったことはしっかりと覚えています。

Ličko Petrovo Selo 村にて

Pobjednik

投稿日: カテゴリー: '13 Croatia

港に停滞していた Po… という頭文字だけが見える一隻の船に「もしかしたら、、、」と反応するMさん。
地元の人に確認すると、「あぁ、やっぱりそうだったのね。」と感慨深く船を見つめるMさん。
辺見庸さんの著書【もの食う人びと】の「魚食う心優しい男たち」という章の中に
ポビエドニク(勝利者)号という巻き網船が登場するのですが、Mさんが見つめるその船の文字はポビエドニクのPoだったのです。
Mさんは、内戦の最中逸見さんをご自身のHONDA(車)に乗せ、クロアチアを案内していたそうです。ちなみにMさんは、とても品のいい素敵な女性です。
信じられないくらい勇敢な話しだけれど、敵に狙い撃ちされる危険が伴う場所では車を猛ダッシュして潜り抜けたといいます。
その時に乗船したポビエドニク号が二十年近い時を経てぽつねんと目の前に存在しているのですから、何かを深く感じていたに違いありません。

私たちがつい軽い気持ちでMさんの手料理を食べたいなどと口にしてしまいましたが、Mさんは最終日にご自宅へ招待してくださいました。
花束を抱えてトラム(路面電車)に乗り込み M邸へ向かう途中、車内の座席で隣り合わせたおかあさんに私は「一緒に写真に写って下さいますか?」
と、言葉が全く通じないのだけれどニュアンスで伝えてみました。
おかあさんはしきりに照れながら笑い、私を何度も抱き寄せ、肩にキスをし、
私が電車を降りるとき「Hvala(フヴァラ)」とお礼を言うと、また私を抱き寄せ、頬にキスをし、私が降りてからも電車の中から手をふって投げキッスをくれたおかあさん。
本当にこの国の女性はどうしてこんなにあったかいのだろう。
遠い異国の地で、Mさんが心を込めてふるまって下さった手料理。
異国で食べる茄子とインゲンの素揚げ、おにぎり、梅干し、そうめん、創造的なハートのたまご焼き、酢の物、そして白玉あんみつ。
体は正直なもので、わたしの胃袋はクロアチア料理で充分満足していたはずなのに、この日ばかりは食欲がいつにも増して
おにぎりが何個でも入ってしまう勢い。食欲に歯止めがきかなくなり危険でした。
別れ際、また玄関先で私を強く抱きしめ、頬にキスをくれたMさん。
この国で私はどれほど熱い抱擁を受け、あったかいハートに触れたことでしょう。
そのハグは息が止まりそうなくらい力強いのですから、クロアチアンハートの強さを決して忘れるものですか・・・。

Hvala! また会う日まで!

うつくしさ

投稿日: カテゴリー: '13 Croatia

戦争のことを話には聞いていても、頭では分かっているつもりでも、
本当は何も知らないのだと気づかされました。

深く刻まれた皺にはらはらと流れ落ちる涙を前にして、早まる鼓動と共にそこに立ち尽くし、おばあさんの肩に手を差し伸べ「辛い記憶を想い出させてしまってごめんさい」と、頼りない言葉を述べることしかできませんでした。
厚い大きな手で何度も何度も私の頬に手を当て、何度も何度も私を抱き寄せるその深い包容力。

家族を守り働いてきた手。粉々になってしまった廃墟から今日まで立ち上がり生き抜いてきた力。おばあさんの顔に刻まれた人生の年輪も、慈愛に満ちたあたたかく深い眼差しもとても美しいと感じました。

世の中に対する矛盾も、社会に対する不満も、彼らはじっと堪えてきたのでしょう。
そして今でも心に刻まれたその深い傷は消えることはないのです。

悲惨なニュースは絶えず耳に入るけれど、戦争がどんなものなのか本当は何も知らない。そして自国の平和な環境に気づく。

どうしてこの世界から争いが消えないのだろう。どうして仲が良かった隣人同士で殺しあわなければいけないのだろう。
わたしの想像を絶することがこの国で起きていたことに思いを巡らせたことがあっただろうか。
日本に住む私は、戦争が起きるなどという恐怖を想像できず、平和ぼけしている自分がいる。

―――「こうして生きているだけでも、本当に有り難いことなのよ。」

人生の中の幸福や、平和であることの美しさを心の底から知っているおばあさんの言葉が今も木霊するのです。