光る泥だんご

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朝靄のなかの松崎町

私が松崎町を訪れていた間、「第42回松崎町芸術祭」が開催されていました。

北海道の帯広葵学園の子どもたちが作った「光る泥だんご」が展示されており、

学校法人帯広葵学園、上野敏郎理事長にお目にかかることができました。

光る泥だんごは、伊豆の左官技術を生かし、土や砂や藁に水を加えて固めたお団子を

漆喰でコーティングして色を付けて 子どもたちが完成させた本格的な作品です。

一人ひとり、色とりどりの泥だんごが、微妙に形も違い、とても愛らしく輝いていました。

これからは、十勝の土を使った泥だんご作りも行いたいと上野理事長がお話ししてくださいました。

学校法人帯広葵学園、上野敏郎理事長と

同会場で、北海道開拓の先駆者 依田勉三に関する資料や、140年の歴史を振り返るパネルも展示されていました。

今年は、依田勉三率いる移民開拓団「晩成社」一行が、帯広市に開拓の鍬を入れて140年にあたる記念の年。
温暖な伊豆から北海道へ渡り、冬になれば凍てつく大自然のなかで、想像を絶する苦労と忍耐の連続だったはず。

開拓の祖、「依田勉三のことを忘れてはならない」という帯広の方々、十勝の方々の想いが

とても丁寧な展示となっており、勉強になりました。

帯広市とゆかりのある依田勉三の故郷、松崎町にて、このような展示の機会に立ち会うことができましたこと大変嬉しく思います。

お忙しい中、お会いしてくださった深澤準弥松崎町長、

案内をしてくださった松崎町教育委員会 佐藤みつほ教育長、ありがとうございました。

そういえば、会場に叔母の絵が展示されていて驚きました。とても素敵な水彩画作品でした。

昔よく まっくろに日焼けした 懐かしい海。
松崎町は母の実家です。
私は 午前3:33 お産婆さんにとりあげてもらい、この世に生を享けました。
蚊の鳴くようなか細い泣き声で生まれ、15歳まで生きられるかどうか!?と、心配されるなか、
たくさんの愛情に見守られ今日まで元気に生かしていただいて、本当に ありがとうございます。
私が母に似てきた、そっくりだ、と 会う人、会う人が言っております。笑

この度、とかち観光大使のお役目を賜り、姉妹都市の松崎町でも、改めて、日本の未来のために、先人たちが築いてこられた歴史を知ることができ、数々のご縁を繋いでいただいておりますことに、感謝いたします。

2022.11.16

旧依田邸

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伊豆急下田駅から車で婆娑羅(バサラ)峠を越え、道中、霧に霞む山並みに紅葉がほんのり色づいていますが、

気温はだいぶん暖かく感じられる伊豆です。

さて、松崎町に到着後、静岡県指定有形文化財 旧 依田(よだ) 邸 に立ち寄りました。

ここは、依田勉三の生家です。

民家としては伊豆地域で2番目に古い建物だそうで、なまこ壁の住宅としては最古だといいます。

なまこ壁とは、伊豆特有の建築様式で、火災などに強い建築です。

火災になった場合、冬に吹く強い西風による延焼を防いでくれるのです。

元禄期の約300年前に、13年かけて建築された母屋と、200年前に建てられた離れ、

そして、幕末から明治期にかけて建てられた蔵 3棟、合計5棟が静岡県の文化財に指定されています。

旧依田邸は、以前は「大沢温泉」という宿泊施設でした。

今は亡き私の父が大好きな場所でしたので、幼い頃、毎年夏休みには家族で大沢温泉に宿泊し、

目の前の川で家族と親戚と友人で遊んだ記憶が蘇ります。

その頃、旧依田邸の敷地内には立派な水車があり印象的でしたが、今は無くなっておりました…

老朽化でしょうか。

でも、入り口の立派な橘(たちばな)の家紋は未だに健在で、懐かしさがこみあげました。

武田信玄の家来だった依田家は、戦国時代の終わりに甲州からここ西伊豆の松崎へ移り住み、

400年間この地で地域を支えてきた豪農。

その家に生まれた依田勉三は、幕末の偉大な漢学者で教育家、土屋三余が開いた「三余塾」で兄の左二平と共に学び、

後に、慶應義塾で学び、福沢諭吉やホーレス・ケプロンの影響も受け、北海道開拓の志を育んでいきます。

旧依田邸の目の前に流れる那賀川一帯の風景は、約500年間変わらないそうで

これまた一層、貴重な景色に思えます。那賀川は途中の橋を境に稲生沢川と表示されています。

 

春になると、那賀川の河口から約6km、およそ1200本のソメイヨシノが咲き誇り、

それはそれは美しい光景が広がります。「田んぼをつかった花畑」もまた心が春めき素敵なのです。

通りすがりの 三餘塾(さんよじゅく)資料館 も、今度 ゆっくり立ち寄ってみたいです。

お寺の猫

 

つづく…
2022.11.15

旧岩科学校

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こちら、旧 岩科(いわしな) 学校 は、私の祖母が通っていた学校です。

国の重要文化財に指定されています。

幼い頃に伊豆に度々遊びに来ていたものの、岩科学校をきちんと訪れるのは恥ずかしながら初めてでした。

想像以上に素晴らしく、芸術的な美しい建物!

大正7年生まれの、今は亡き祖母は、妹や弟をおんぶしてこちらの学校に通ったそうです。

そのように、生徒が子守をしながら勉強をする様子が 等身大のお人形で、時空を超えて再現されていました。

幼き頃の祖母に邂逅できたようで感無量です。

なまこ壁をあしらわれた 社寺風建築様式で、洋風のバルコニーなど取り入れられた

伊豆地区最古の小学校です。長野県松本市の旧開智学校(国宝)が姉妹館となっています。

なまこ壁とは、伊豆特有の建築様式で、火災などに強い建築です。

火災になった場合、冬に吹く強い西風による延焼を防いでくれるのです。

玄関ポーチの鏝絵(こてえ)、軒下の蛇腹漆喰仕上げ、七宝なまこ壁、すばらしいですね。

建築費用2,630円66銭、現在の貨幣価値としては約2億円強だそうです。

「岩科起て」は学校のモットー

校舎内には、松崎が生んだ左官の名工、入江長八による作品が施されています。

入江長八は、左官を芸術にまで引き上げた名工です。

昇る太陽を表現した床の間へ向かって、壁一面に千羽鶴が、漆喰で画かれているのは圧巻です。

漆喰で絵を画くなんて、稀中の稀ですね。

雨のため、雨戸が閉められていたので室内はいつもより少し暗くて…とスタッフの方が仰っていましたが、撮影できました。

こちらは客室の地袋の板戸に描かれている入江長八の作品である山水画と美人賞蓮。

二階の鏝絵は、入江長八の弟子、佐藤甚三による「鳳凰」と、牡丹のランプ掛け。当時、この時代に、すでにランプをしようしていた証。

向かい合わせの阿吽の鳳凰(ほうおう)は、教室の守護神だそうな!


伊豆、平野山遺跡で出土した土器や、
また、この地域で古くから行われていた養蚕の様子や歴史なども展示されていました。

先人たちが築いた歴史、脈々と引き継がれる開拓精神、
「中央の文化に遅れるな」という強い心意気で建てられた見事な学校に感動を覚えました。

拝観記念の御朱印をいただきました。

私のことを撮影してくれた母を 私が撮る、の巻 (笑)
遠くのピンクの傘は叔母の後ろ姿です。二人のピンク色の傘が愛らしくて撮りました。
雨の中、ありがとうございました。

 

つづく…
2022.11.16

Saphir ODORIKO

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何年ぶりでしょう。母の実家であり、私の生まれた場所、静岡県松崎町を訪れました。

今回は、母が乗車を望んでいたサフィール踊り子 号で、伊豆急下田駅まで!

Saphir (サフィール) とは、フランス語でサファイヤを意味するそうで、

その名のごとく、青く輝く宝石のように美しい列車に乗ることが叶いました。


車内の絨毯の青と、天窓から降りそそぐ空の青、

そして、伊豆の海の青が車窓に流れて行きます。私の好きな色に囲まれて、嬉しい。

車内のシートがあまりにも乗り心地が良いので、うとうと睡魔に襲われましたが、

読書に集中することもできました。

松山善三氏の著作「依田勉三の生涯」を読了したので、続いて、

乃南アサ氏の著作「チーム・オベリベリ」!

「依田勉三の生涯」に描かれているのは、未開の地北海道十勝野での壮絶な物語。

開拓の困難と苦労に胸が締め付けられるような描写が何度も、何度も。

さて、「チーム・オベリベリ」は依田勉三とともに北海道へ向かった渡辺勝の妻 カネさんの目線で描かれています。
今、上巻を読み進めており、もうすぐ下巻に入ります。

車中には個室や食堂も。

カメラを手に 少し歩いて 車内を探訪しました。

アテンダントの方が快く許可して食堂も撮らせてくださいました。

お仕事で土肥へ向かう友人も、このサフィール踊り子号を利用したいと言っていましたが、

西伊豆自体は電車が走っていないので、半島の先端まで行って 車移動となります。

本数も少ないので(一日に一本、もしくは臨時があったりなかったり)

時刻表をよくチェックして… と、なりますね。

 

つづく…
2022.11.15