DIARY

優しいおひさまの徹子さん

「藤城さんがわたしの影絵をつくって下さったのよ」と、
黒柳徹子さんから教えていただき訪れたのは【藤城清治 卆寿記念90展】。

どうしたらこんなに細い線がつくれるのだろう。
どうしたらこんな水玉が出来るのだろう。
どうしたらこんな木漏れ日や木々の葉や水面がつくりだせるのだろうと目を見張るものばかり。
しかもお年を経るほど益々繊細かつ力強くなってらっしゃるのではと感じた107作品。
藤城先生が壮大な影絵に込められた祈りと想いに胸が熱くなる。

そして見つけた「優しいおひさまの徹子さん」。

空、海、太陽、鳥、魚、動物たち、木々、花々がおひさまの徹子さんに照らされ、徹子さんがこの星に愛でられているようにも見える。
自然や生き物がおひさまの徹子さんに照らされ、徹子さんもこの星に愛でられているよう…

宝石のような圧巻の影絵ワールドでした。

p.s.「木村屋のあんパン」の絵も齧りたくなるほど愛らしかった!

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(一部抜粋)大雪の中、手もかじかんでしまったが、無我夢中で描きあげた。雪の降る中に陸に上がった巨大漁船など二度とみることはないだろう。万感胸に迫って描ききったけれど、美しさを越えた何ともいえない崇高な美しさがあるような気がした。ただの記録画ではない。この絵から、自然の、地球の美しさ、迫力、そして偉大さを感じながら生きるよろこびをうけとってもらえれば幸せだ。<気仙沼 陸にあがった共徳丸 2013> -藤城清治
(一部抜粋)大雪の中、手もかじかんでしまったが、無我夢中で描きあげた。雪の降る中に陸に上がった巨大漁船など二度とみることはないだろう。万感胸に迫って描ききったけれど、美しさを越えた何ともいえない崇高な美しさがあるような気がした。ただの記録画ではない。この絵から、自然の、地球の美しさ、迫力、そして偉大さを感じながら生きるよろこびをうけとってもらえれば幸せだ。<気仙沼 陸にあがった共徳丸 2013> -藤城清治

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ある日の夕方、ピーターが裏の丘にのぼると、ずっと遠くの丘にキラキラ光る窓を見つけて、きっとお城だと思って丘をいくつも越えていくと、ふつうの家だった。振り返ると自分の家もキラキラ光っていた・・・。沈んでいく夕日をあびて輝いていたというこのお話は、光と影でしか表現できないだろう。「暮らしの手帖」65号に載せたデンマークのお話。<きん色の窓 1980> -藤城清治
ある日の夕方、ピーターが裏の丘にのぼると、ずっと遠くの丘にキラキラ光る窓を見つけて、きっとお城だと思って丘をいくつも越えていくと、ふつうの家だった。振り返ると自分の家もキラキラ光っていた…。沈んでいく夕日をあびて輝いていたというこのお話は、光と影でしか表現できないだろう。「暮らしの手帖」65号に載せたデンマークのお話。<きん色の窓 1980> -藤城清治

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優しいおひさまの徹子さん” への4件のフィードバック

  1. またまた素敵な影絵の追加UPありがとうございます。

    少しいろいろと改めて考えてみました。
    前にもコメントしましたが、物事の捉え方、考え方、生き方は人それぞれです。
    そうした中で、私は現代のすべての近代的な人工物は自然の一部とは思っていません。現代の近代的な生活で人類が作るものはすべて自然環境を壊すごみになるものだとも思っています。どんな立派な豪邸も、高級な車も、美しい洋服も・・・ですから、藤城先生の言葉に違和感を感じました。
    がれきが野山や海や川と同じ自然の美しさを持っているなんて、とても思えないのです。ましてや、被災地のたくさんの方がお亡くなりになられた場所のがれきが美しいなんて、被災もしていない、いわゆる部外者がそんなことを言っていいものなのか、、、どんなに悲しみと苦しみがあったことか、、、と思ったのです。
    前にテレビで被災地の津波で破壊された建物や船などを震災の記憶をとどめる遺構として後世に残すべきか住民の間で意見が分かれていると報道されているのを見ました。大多数の住民の方が辛い記憶を思い出させてしまうから、撤去してほしいとのことだったと記憶しています。そして、一刻も早くがれきをすべて撤去し、もとの町に戻してほしい、安心して住める場所にしてほしいとのことでした。

    美しい世界自然遺産の絶景も自然、身の回りにある見慣れた、ありふれた日本の山々も自然、地震も大雨も台風も自然の営みの一部。
    最近、テレビや雑誌などでは世界の絶景と称していろんな美しい場所を特集して放送する番組を見かけますが、人が美しいと感じる場所が身の周りの地球上から少なくなってきているのかも知れません。
    また、身近にある自然に関心がなくなりつつあり、興味が失われているせいかもしれないなぁ、なんて思ったりもしています。
    田舎に住む人々も山々に入ることがほとんどなくなりつつあります。すぐ家の裏には広い森が広がっていても、何年も森に入らない、入る必要のない暮らしがそこにあるからかもしれません。
    もっと、遠くの美しい自然よりも身近にある日本の自然の現状について学び知る必要があるんじゃないかなぁ、と思っています。

    世界を駆け巡る三佳さんなら、きっと日本を知り、世界を知り、そのそれぞれの自然の違いなんかを私たちに伝えてくれることが出来るのでは、なんて思ったりもしています。素敵な笑顔と共に☆

    おっと、いつもながらのとりとめのないコメント失礼しました。
    私のヘンテコな考えは置いといて。
    それにしても美しい影絵の数々ですね。
    なかでも大きな樹のもとでチェロ?を弾く小人。ピーターの物語。傘を差す子供たち。本当に素敵ですね。
    メルヘンの世界に入り込んでしまいそう☆

    さてさて、朝晩が少し涼しくなってきたこの頃。こちらでは日中は蝉の合唱、夜は虫たちの音の調べが聞こえてきます。
    早いものではや九月になりますね。
    今年は天候が不順で夏らしくなく雨、雨、雨で八月が終わってしまいました。もしかしたら、秋の訪れが早いかもしれません。
    東京はいかがですか?

    また、お時間がありましたら素敵な新たな記事のUPをお願いしますね。

  2. 三佳さん、作品のUPありがとうございます。
    がれきの作品も拝見し、藤城先生の人となりがちょっぴり知り得ることが出来たように思えます。
    物事の考え方、受け取り方は人それぞれなのでしょうが。。。
    すこし考えてみます。

  3. 素晴らしい影絵の世界をご覧になられたましたね。
    感性の豊かな三佳さんらしい素敵な更新☆
    何十年も影絵に取り組まれたからこその素晴らしい作品の数々なのでしょう。
    ただ、作品を拝見していないのですが、「被災地のがれきは宝石より美しい」という言葉が理解できなく違和感を感じました。
    まだ、行方不明の方々も多く、家族を亡くされ、家屋敷などの財産を失い、故郷を失った人々に対してどうなのかな、、、きっと、がれきなんて見たくもないのではないだろうかと、、、という想いがあります。

    さて、「優しいおひさまの徹子さん」
    少し三佳さんにも似ているような、ないような・・・
    この作品のように地球に住む生き物たちと、優しい思いやり溢れる心で接することか出来る人がたくさん、たくさんいたならば、きっと、美しい大自然の広がる地球が今も存在していたかも知れませんね。

  4. 『絵になるひと*☆』
    懐かしさも先進性も感じられる、心揺らされる絵ですねー♫

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