'03 Silk Road

シルクロードの砂

私の部屋で閉じ込められてしまった砂漠の欠片。
広大なタクラマカン砂漠のひとかけら。

「一度入ったら出られない」という意味を持つタクラマカン砂漠。
タクラマカン砂漠は死の砂漠だともいう。
小瓶の中の砂はその道中で拾った砂漠の一部。

約4年前、私はタクラマカン砂漠の北に位置するトルファンから、南のミーラン遺跡を目指して、砂漠を車で1000km縦断した。シルクロードが栄えた時代に広い地域を支配し、後にそのほとんどが砂に消えた楼蘭王国の謎を追う大冒険だった。

新疆ウイグル自治区の面積は日本の約5倍、
タクラマカン砂漠だけでも日本とほぼ同じ面積。

太陽に燦々と照らされた砂漠は黄金に輝き、
日が沈む頃の砂漠は一面がまるで血潮のように真っ赤に染まる。
そして雲上を歩いているような感覚にもなる。
歩いてきた後に足跡は残らず、この広すぎる砂漠の中では、たった一メートル迷っただけで
自分の今いる位置がまったくわからなくなってしまい、もう二度と帰ることはできない。

私たちの冒険の途中でも、立ち寄る予定だった村が、到着するとすでに砂に埋もれ
廃墟と化していたこともあった。ろくに昼食もとれぬまま延々と車を走らせた。
窓をしめきっていても車内には何故か砂埃が充満し布を顔に巻き付けていなければ存吸困難になりそうだった。

私たちがミーラン遺跡に着いた日に、別の遺跡へ行っていた人が、車の故障で助けを求めるために1人で砂漠を約70キロも歩いたと、ある旅人から話を聞いた。
その人は助かったそうだけど、昔は旅の途中で亡くなる方もたくさんいたという。
強い日差しに照りつけられた体から水分は蒸発し、食料が底をついたら
どこかに水が湧き出してはいないかと必死で砂を掘り返す。
しかし旅人は手で砂を掻き分け、砂に顔を埋もらせたままミイラとなって見つかったという。
そんな風に道中で命を落としてしまう「死の砂漠」。

しかし、ある旅人は板チョコ一枚で一週間生き延びたそうだ。

私はその話を聞いてから、なんとなくチョコを持参して旅に出ている。
そんな究極の事態に陥ったら
砂漠の砂のように流れに身を任せるだろうか、
それとも生きようと必死で食いつくだろうか。

私の部屋へ運ばれてきてしまったこの小瓶の砂を見ると
そんな途方もない砂漠のお話を思い出してしまう。

すべてのすばらしいもの(見たもの、聞いた言葉、感じた味、香り…)は
誰かと共有してこそ素晴らしく、それが旅の醍醐味なのかもしれない。

二度と戻らない その瞬間を
一瞬一瞬心にやきつけること。

どんな形であれ今この瞬間が幸福だと感じる心を
一回でも多く持てれば尚幸せだと思う。

desert

シルクロード、タクラマカン砂漠
旅の道中